べからず。
然るに人生の複雑なる、安危交錯して、吾人の家庭と社会とに屡《しばしば》不測の惨禍を起して其調和を失うことを免れず。思うに人生の惨禍は、彼《か》の厄難屡来りて遂に貧に陥り、居《お》るに家無く、着るに衣無く、喰《くら》うに食無く、加うるに宿痾《しゅくあ》に侵され、或は軽蔑せられ、人生に望を失うものより甚《はなはだし》きはなからん。而《しか》して其由来する所を繹《たずぬ》れば、多くは自ら招くものなれど、事|茲《ここ》に至りては自ら其非を覚《さと》ると雖《いえ》ども、其非を改むる力なく、或は自暴自棄となりて益《ますます》悪事を為すあり、或は空《むなし》く悲歎して世を恨み人を怨むものあり。其惨状実に憐憫に堪えざるものあり。是れを救済し、其生活を安全ならしむるは、誠に人生の一大善根にして、固《もと》より容易の業にあらずと雖ども、吾人は其小を積み止まず遂に其大を致さむ事を勉《つと》めざる可《べ》からず。此《かく》の如くにして初めて吾人の目的に近《ちかづ》くことを得《う》べきなり。
我家《わがいえ》は北海道|十勝国《とかちのくに》中川|郡《ごおり》本別村《ぽんべつむら》字《あざ》斗満の僻地に牧塲を設置し、塲内に農家を移し、力行《りょっこう》自ら持し、仁愛人を助くることを特色とし、永遠の基礎を確定したる農牧村落を興し、以て此れに勤倹平和なる家庭と社会とを造らん事を期せり。コレ実に迂老《うろう》が至願《しがん》なりとす。迂老は幼にして貧、長じて医を学び、紀伊国《きいのくに》濱口梧陵翁《はまぐちごりょうおう》の愛護を受け、幸に一家を興すことを得たりと雖《いえども》、僅に一家を維持し得たるのみにして、世の救済については一毫《いちごう》も貢献する所なし。今に至り初めて大に悟る所あり。自ら顧《かえりみ》るときは不徳|※[#「菲/一」、226−2]才《ひさい》事《こと》志《こころざし》と違《たが》うこと多しと雖、而《しか》も寸善を積みて止まざるときは、何《いず》れの日|乎《か》必成《ひっせい》の期あるべきを信ずる事深し。乃《すなわ》ち先ずコレを我牧農の小村落に実施し、延《ひ》いて他に及ぼさんことを期し、コレを積善社と名づく。凡《およ》そ我社中の人には、労苦を甘んじ、費用を節し、日々若干金を貯えて、コレを共同の救済集金とし、以て社中に安心を与え、上《かみ》は国恩を感謝し、祖先の神霊を慰
前へ 次へ
全25ページ中24ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
関 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング