うるの習慣を取りて止まず。然るに奇遇にも永山将軍に親くせり。同将軍は露国に向わん事を平生語れり。且つ予に同行をすすむる事ありしも今春病死せり。依て予は独行する事は難きのみならざるを密《ひそか》に思うのみなり。然るに又一が出征せば、予は残りて牧塲を保護すべきなり。依て又一が出征は実に我家の名誉なり、予が大満足なり。故に又一には牧塲の事は一切精神上に置かずして勇んで戦地に出ずべき事死を决すべきを示すのみにて、他は决するの必要無し、依て又一が名誉の戦死あらば、第二の又一を以て素願を貫くべきとして、更に将来を議せざるなりと决して、勇みて別れたり。
十月二日、寛は帰塲す。
寛が帰塲するや、片山氏は左の現状を告げて曰く、九月廿日頃より斃馬病馬多く、既に此迄に於て殊に有数なるの馬匹を二十余頭は斃れ、尚追々病馬あり、此上は如何なるべき乎、關川獣医の説によれば、病症不明にして治療に於けるも拠るべき処なしと、依て今後は如何なる事実に陥るか。とて片山夫婦は勿論高橋富藏も共に大に苦慮して、何れも落胆の極に至り、或は各自决する事ありて一身を退かんと欲するが如く、且つ精神沈欝して共に惨憺たり。其景况たるや言語に絶したり。然るに予は帰着後未だ草鞋ばきの儘なるも、其実况を見るに実に如何とも致すべからざる事たりしにて、予も同く大落胆するのみ、且つ言うべからざるの感に打れたり。然るに予は大に决する処あり、予が共に沈衰するに至らば如何なる塲合に陥らんか、依て今後に於ける如何なる事あるも、現状を回復するには大奮起せざるに於ては、我が牧塲は忽ち瓦解に帰せんや必せりと悟りて、一同に向い大声を以て第一に片山を呼び、其他を集めて叱※[#「口+它」、第3水準1−14−88]して曰く、我牧塲の現状を恐るる者あらば、直《ただち》に我牧塲を立退けよ、とて大に怒鳴りて衆に告げたり。且つ曰く、予は生活する間は决して此牧塲を退かざるなり、予は生活する間はココを退かずして、仮令《たとえ》一人にても止まりて牛馬の全斃を待つ。尚語を継ぎ曰く、全斃の後に至り斃馬の霊を弔わんと欲するなり、若《も》し幸にして一頭にても残るあらば後栄の方法を設くべし、我等夫婦が素願を貫くの道なりと信じて動かざるなり、幸にして種牡馬《たねうま》二頭は無事なり、依て此上に病馬あらば、十分に加療を施して死に至らしむるこそ、馬匹に対するの大義務たるべきなり、予は老
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