みしも皆な[#「に似たり余が幼き頃より長者の教を守りて学の道をたどりしも仕への道を歩みしも皆な」に傍点]勇気ありて[#「勇気ありて」に白丸傍点]能くしたるにあらず[#「能くしたるにあらず」に傍点]云々《うんぬん》(四頁下段)
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 是れ著者が明かに太田の人物を明言したるものなり。然るに著者は後に至りて之《これ》と反対の言をなしたり。
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余は我身一つの進退につきても又た我身に係《かゝは》らぬ他人の事につきても果断[#「果断」に白丸傍点]ありと自ら心に誇りしが云々(一四頁上段)
余は守る所を失はじと思ひて己《おの》れに敵するものには抗抵[#「抗抵」に白丸傍点]すれども友に対して云々(一二頁上段)
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 此《この》果断[#「果断」に白丸傍点]と云ひ抗抵[#「抗抵」に白丸傍点]と云ひ、総《すべ》て前提の「物ふるれば縮[#「縮」に白丸傍点]みて避[#「避」に白丸傍点]けんとす我心は臆病[#「臆病」に白丸傍点]なり云々」の文字と相《あひ》撞着《どうちやく》して并行《へいかう》する能《あた》はざる者なり。是れ著者の粗忽《そこつ》に非《あら》ずして何ぞや。
 次ぎに本篇二頁下段「余は幼なきころより厳重なる家庭の教へを受け云々」より以下六十余行は殆《ほと》んど無用の文字なり。何となれば本篇の主眼は太田其人の履歴に在《あ》らずして恋愛と功名との相関に在ればなり。彼が生立《おひたち》の状況洋行の源因就学の有様を描きたりとて本篇に幾干《いくばく》の光彩を増すや、本篇に幾干の関係あるや、予は毫《がう》も之が必要を見ざるなり。
 予は客冬「舞姫」と云へる表題を新聞の広告に見て思へらく、是れ引手数多《ひくてあまた》の女俳優(例へばもしや艸紙《ざうし》の雲野通路《くものかよひぢ》の如き)ならんと。然るに今本篇に接すれば其|所謂《いはゆる》舞姫は文盲癡※[#「馬+埃のつくり」、第3水準1−94−13]《もんまうちがい》にして識見なき志操なき一婦人にてありし。是れ失望の第一なり(失望するは失望者の無理か?)。而して本篇の主とする所は太田の懺悔《ざんげ》に在りて、舞姫は実に此懺悔によりて生じたる陪賓《ばいひん》なり。然るに本篇題して舞姫と云ふ。豈《あ》に不穏当の表題にあらずや。本篇一四頁上段に曰《いは》く「先に友の勧めしときは大臣の信用は屋上の[#「屋上の」に白丸傍点]禽《とり》の如くなりしが今は稍《や》やこれを得たる[#「これを得たる」に傍点]かと思はるゝ云々」と。ソモ屋上の禽とは如何《いか》なる意味を有するや、予は之を解するに苦む。独乙《ドイツ》の諺《ことわざ》に曰く「屋上の鳩《はと》は手中の雀《すゞめ》に如《し》かず」と。著者の屋上の禽とは此諺の屋上の鳩を意味するもの歟《か》。果して然らば少しく無理の熟語と謂はざる可《べ》からず。何となれば独乙の諺は日本人に不案内なればなり。況《いは》んや「屋上の鳩」の語は「手中の雀」と云へる語を俟《ま》ツて意味あるものに於てをや。蓋《けだ》し此《かく》の如き些細《ささい》を責むるも全く本篇が秀逸の傑作なれば也。
 本篇一○頁上段に「表てのみは一面に氷りて朝に戸を開けば飢ゑ凍《こゞ》えし雀の落ちて死に[#「雀の落ちて死に」に白丸傍点]たるも哀れなり云々」の語あるを以ツて人或は独乙は温かき生血を有する動物が凍死する程|寒威《かんゐ》凛烈《りんれつ》の国なるやと疑ふものあり。然れども独乙には実際寒威其者よりも寧《むし》ろ氷雪の為めに飼料を求むる能はざるが為めに飢死[#「飢死」に白丸傍点]する小動物ありと聞く。著者の冬期を景状せしは増飾の虚言にあらずして実際なり。故《ゆゑ》に一言以つて著者の為めに弁護するものなり。
 依田学海先生国民之友の附録を批して曰く、「舞姫」は残刻に終り、「拈華微笑《ねんげみせう》」は失望に終り、「破魔弓《はまゆみ》」は流血に終り、「酔沈香」は嘆息に終る。嗚呼《あゝ》近世の小説は歓天喜地愉快を写さずして、総て悲哀を以て終らざる可からざる乎《か》と。小説の真味|豈《あ》に啻《たゞ》に消極的の運命を写すのみならんや。学海翁をして此言をなさしむ、嗚呼果して誰の罪ぞ(半之丞《はんのじよう》曰く、此は決つして、「舞姫」を非難するに非ず)。
 予は前述の如く「舞姫」に対して妄評を加ふと雖も兎《と》に角《かく》本篇は稀有《けう》の好著なり。若《も》し小説界の明治廿一年以前を春のや支配の時代《ペリヲデー》となし、廿二年を北※[#「亡+おおざと」、第3水準1−92−61]、美妙、紅葉支配の時代となさば、明治廿三年は恐《おそら》くは鴎外、露伴二氏支配の時代ならん。予は信ず、本年の文壇に於て覇権《はけん》を握るものは此二氏に在ることを。
[#地から2字上げ](明治
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