等が文化の段階に立つことを極めて明かに示すのである。生のみを思つて死を思はぬ點においては、彼等は近世の大思想家スピノーザと全く同じ立場に立つのである。ただ後者が文化主義を深き自己省察をもつて思想的に徹底せしめたとは異なつて、彼等は單純に無邪氣にその同じ立場に生きてゐるの相違があるのみである。文化的生においては、有のみあつて無がない如く、又時間性の觀點よりいへば現在が過去をも將來をも併呑する如く、生のみあつて死はないのである。從つて死の存在と意義とに或る程度まで目覺めた場合には、死は實は生の一種の形に過ぎぬこととなる。死をもつて魂と身體との分離となす思想は、アニミズムの影響の下に立つたローデ(Rohde)が考へたやうに(三)、一方原始民族と他方プラトンとを繋ぐ共通の點であるのでなく――雲泥といつてもなほ言葉の足らぬほどの思想上の隔り、殊に比較を絶する後者の自己省察の深さは今は考慮に入れぬとしても――むしろ單に死の本質に關する思想においてさへ、兩者の間に可なり大なる不一致が存在することは近時の研究によつて明かにされたことであるに相違ないが(四)、それにも拘らず、死を生の一形態と看做す點にお
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