或る程度の超越は認められるが、他方においては、その都度の出來事であつた時間性の缺陷を無際限に連續する出來事として恆久化する點において、却つて、その缺陷の引伸ばしともなるであらう。ヘーゲルが無終極性を「惡しき無限性」と呼んだのに傚へば、終りなき果てしなき客觀的時間は「惡しき永遠性」と呼び得るであらうが、時間性の克服であるかの如く見えて實は却つてそれの缺陷の延長である點を思へば、「僞りの永遠性」の名が或は一層當を得たものでもあらうか。
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    第四章 死

        一八

 死について考へ殊に死の必然性を知り死を覺悟することは人間の貴き特權と考へられる。死の意義ほど自己について深く省察する人にとつて重大なる問題は少いであらう。しかもそれは、客觀的乃至自然的現象としての死が同じく客觀的乃至自然的現象としての生に對していかなる關係に立つか、根本的にいつて、かかる現象としての死ははたして又いかにして必然的事實として承認されるか、などの問題と混同せらるべきでない。假りにかかる必然性が理論的確實性を得たとしても、この意味における必然的事實としての死は、單に理論的に從つて冷靜
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