主體の主體的人格的同一性の根源を見る。主體の同一性は現實的生においてもすでに直接的體驗を超越する事柄である。主體の自己性は客體内容の聯關において又それを通じての外には把握されぬ。内容は主體に對して他者であり又相互に他者である。主體は先づ客體としての他者において、しかして更に客體内容の聯關において自己を表現する。かかる表現において又それを通じての外に自己性の成立つ場處はない。これはすでに述べた通りである。しかるに自己表現(實現)は主體の活動であり、活動としては時間性の性格を擔ふ。主體が現在に生きつつ過去を現在に呼び出すことによつて活動は行はれる。そのことをなすのは囘想である。囘想なしには自己性の把握從つて自覺は行はれぬ。具體的にいへば、アイ……の系列において、イをそれに先立つアとの聯關において把握するためには、無に歸したるアは有として再生されねばならぬ。しかるにこのことは更に、無に歸したものと今現に有であるものとの同一性從つて反省より體驗への復歸――いはば先驗的囘想――更に又それの根源として主體の同一性――先驗的同一性――を前提する(四)。この先驗的同一性が結局囘想即ち無よりして有の發生
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