かなる趣きいかなる相貌を呈するかをも、吾々は考察に入れねばならぬ。自然的文化的生において主體と交渉に立つ他者は廣き意味において「物」と名づけられて「人」と區別される(一)。この場合「人」は必ずしも生物學上人といふものと同一ではない。ここに人といふのは人倫的共同において人格としての資格を保つものである。それ故、人が人格としての待遇を受けず、單に手段として用ゐられる場合において乃至しかせられる限りにおいては、生物學的には適切に人と呼ばれるものも「物」としての存在を保つに過ぎぬ。すなはち、物は、廣き意味においては、文化的生において主體の自己實現の活動に質料として出會ふもののすべてである。人倫的共同において嚴密の意味における人即ち人格である同じ實在者も、文化的活動の質料としての意義を擔ふ限りにおいては物である。「物的」と區別され「人的」と世に呼ばれてゐるであらうものも、「資源」や「資材」としては、嚴密の意味においては、等しく物的なのである。客體は、自然的實在者の象徴としての意義を有する場合のみならず、觀念的存在者としてそれ自身の存在を保つ場合にも、等しく物である故、物の領域は純粹客體・イデアの
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