\現するを意味する外はない。しかるに自己表現者が人であらうと神であらうと、生そのものの本質的性格が變革刷新を見ぬ以上は、時間性の克服は到底絶望である。しかしてこのことは吾々を最後の根本的の點に導く。他者、この場合神、は客觀化され擴大され、優越性を意味する種々の屬性や稱呼をもつて飾られてゐるにせよ、本來文化的主體であるを本質とする以上、時間性に關しては人間的主體と全く同一性格を擔ひ同一地盤に立たねばならぬ。かくの如き他者の活動が、人間的活動をそれの本質より來る不完成性斷片性より解放するとは、はたして望み得る事であらうか。それどころか、かくの如き他者そのものが、はたして自ら時間性の桎梏に呻くを免れ得るであらうか。答は明かに「否」である。かくて吾々は客觀的實在世界とそれの「僞りの永遠性」とに斷然訣別を告げねばならぬ。
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(一) 以下の論述に關しては「宗教哲學」の諸處、殊に一五節以下、二七節以下、四五節參看。
(二) 本書一〇節參看。
(三) 所謂有神論に關しては「宗教哲學」二七節、二八節、特に四五節參看。
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    第六章 無時
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