チすは過去であるが、未來も過去と運命を共にせねばならぬであらう。しかも、後の論述の明かにするであらう如く、將來はそこでもなほ現在の維持者として依然その存在を續けるばかりか、むしろ滅びぬ存在の源として新しき意義に輝くであらう(四)。
[#ここから2字下げ]
(一) Aristoteles, Physica. 217b seqq. においてすでにかくの如き論難に出會ふ。
(二) Confessiones. XI, 14 seqq. 總じてアウグスティヌスの時の論は觀點と所見とを異にするものも尊敬と感謝とをもつて仰ぎ見るべき劃期的業績である。
(三) このことをはじめて明かにしたのはプラトン(「ソピステース」篇において)の功績である。
(四) 今日わが國の學界においては「將來」を無造作に「未來」と呼ぶことが殆ど流行といつてもよき程廣く行はれてゐる。これは自省すべき、場合によつては、斷然改むべき不穩當なる習慣である。「將來」と「未來」とが實質的に一致する場合においても、前者は單純な積極的な正面より見ての言ひ表はしであり、後者は裏に※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]はつて主として事柄の含
前へ 次へ
全280ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
波多野 精一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング