オての無や非存在は、實は反省によつて客體化されたる意味内容である。かかるものとしてそれは却つてむしろ一の有であり一の存在である。無を無として單純に攫まうとする働きは却つてそれを有として存在としてのみ手中に收め得るのである(三)。それにも拘らずそれが論理的の矛盾や背理として葬り去られず、思惟され理解される意味内容として成立ち得るのは、それが體驗に基づき體驗に源を有する事柄であるからである。體驗はこの場合にもあらゆる論理的疑惑を打拂ふに足る。缺乏・空虚・消滅等すべて無を契機とする事柄の體驗において又それを通じて無は體驗されるのである。時の體驗においても同樣の事態が存在する。現在は將來より來るや否や直ちに無くなつて行く。かくの如く有るもの存在するものが無くなること從つて現在における過去の體驗こそ無の體驗に外ならぬ。すなはち、時は生の存在の最も基本的なる性格として、それの體驗は無の體驗の從つてそれの思惟や理解の最も深き活ける泉なのである。無くなることの體驗を反省において處理することによつて吾々は無そのものの思惟や理解へと進み得るのである。
過去は無くなること非存在に陷ることであり、過去となつたものは無きものであるといふ眞理を、體驗の明白に教へる所に從ひつつ素直に承認することは、「時と永遠」の問題の解決に向ふ途上實に基本的意義を有する極めて重要なる第一歩である。等しく肝要なる第二歩は「將來」の正しき理解である。吾々はさきに、無きところより來るを迎へるを將來の體驗の本質となし、從つて現在と區別される限りにおいて將來を非存在となす、考へ方を假りに一應許容した。これは、將來がまた「未來」とも呼ばれ、その場合呼稱そのものにおいてすでに非存在が表現されてゐる事實に徴しても、人々の傾き易きややもすれば最も自然的と見え易き解釋である。しかしながら立入つて精細に觀察すればこの解釋は誤つてゐる。今體驗の語る所に耳を傾けるならば、時において、現在における「將來」の契機において、主體が待ち迎へるのは無や非存在でなく、又非存在より來る存在でさへもなく、單純に存在である。非存在へと去りたる存在(現在)を補ふべく新しき存在(現在)が來るのである。存在を迎へる働きそのものは、主體にとつては、それの本來の自己主張(自己の存在の保存及び擴張)の基本的傾向に背進するどころか、むしろその傾向の最も自然的なる發現である。その限りむしろ喜びの體驗といふべきである。その限りそこには無の契機は全く見出されない。それ故將來を無造作に「未來」と呼び替へるのは、それの根源的性格の理解の上からは、當を得たといひ難い。過去と結び附けそこよりしてそれの意義を解釋することによつてはじめて將來は未來となるのである。すなはち「未來」は「將來」に對してむしろ派生的觀念である。將來が未來となり來るものが無より來るものとなるのは、現在即ち存在が絶えず流れ去つて同じ現在として止まることがないからである。何ものかがそれへと向ひ來る現在は、その何ものかが、それに來り着く現在とは異なつてゐる。一つの今へと向ふものは他の今に到着せねばならぬ。更に言ひ換へれば、過去あるがため現在はそれに向つて來る將來にいつまでも出會ひ得ずに去るのである。將來を未來たらしめる無の契機は將來そのものに本來具はるのでなく過去が提供するのである。すなはち過去による現在の流失と存在の喪失とを補ふべき任務を有する限りにおいて將來が未來となるに過ぎぬ。それ故將來は必ずしも未來ではない。若し滅びぬ現在無くならぬ今――即ち永遠――が成立つたと假定すれば、そこで先づ姿を消すは過去であるが、未來も過去と運命を共にせねばならぬであらう。しかも、後の論述の明かにするであらう如く、將來はそこでもなほ現在の維持者として依然その存在を續けるばかりか、むしろ滅びぬ存在の源として新しき意義に輝くであらう(四)。
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(一) Aristoteles, Physica. 217b seqq. においてすでにかくの如き論難に出會ふ。
(二) Confessiones. XI, 14 seqq. 總じてアウグスティヌスの時の論は觀點と所見とを異にするものも尊敬と感謝とをもつて仰ぎ見るべき劃期的業績である。
(三) このことをはじめて明かにしたのはプラトン(「ソピステース」篇において)の功績である。
(四) 今日わが國の學界においては「將來」を無造作に「未來」と呼ぶことが殆ど流行といつてもよき程廣く行はれてゐる。これは自省すべき、場合によつては、斷然改むべき不穩當なる習慣である。「將來」と「未來」とが實質的に一致する場合においても、前者は單純な積極的な正面より見ての言ひ表はしであり、後者は裏に※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]はつて主として事柄の含
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