歴史的時間の場合とは異なつて、ここでは活動に固有なる客體面の波動凹凸は跡を絶ち平坦なる客體面のみ殘る。客觀的時間は通常直線の形に表象される。もと文化的時間の變種であり、それの破片の引伸ばしと見ることが出來る。恰も曲線の破片が直線と見える如くに。尤も歴史的文化的生において他者性を代表する形象が根源としての實在的他者へ歸屬せしめられる場合には、文化と歴史とは客觀的實在世界を基體となし、それを形作りそれにおいて自己を實現し表現するといふ意義を得る。その限り歴史的時間は客觀的時間を部分的要素として包含する。しかしながらそのことは全體としての文化的歴史的時間の構造の理解には何の影響をも及ぼさぬであらう。今や吾々は幾多の紆餘曲折を經てこの課題へと直進すべき時となつた。

        一二

 文化は自然的生の土臺の上に建設される故、文化的時間性は自然的時間性よりの全面的影響の下に立つが、今は差當り出來るだけその影響より切離されたる純粹の姿を眺めつつそれの構造を明かにすべく力めようと思ふ。
 文化的生においては主體は主體性を從つてそれに固有なる自己主張を飽くまでも保存し、ただ他者のみ自然的實在性を離れて客體となる。しかるに客體の存在は主體へのそれであるに過ぎず、それの本質は主體に對して可能的自己乃至自己表現であるに存する故、その限りここでは自然的根源的時間における「將來」も「過去」も姿を消し、主體の時間的性格としての「現在」のみが殘る。文化的生の時間的性格は現在に盡きるといふも過言でない。主體は無くなつた過去を悼むに及ばず未だ來らざる將來をかこつこともなく、ただひたすら現にその中に生きる現在を樂しむのである。このことは、他者が純粹の客體性に留ることを少くも理想とする美的及び理論的觀想において最も完全に行はれる。時間性の觀點よりみれば、物の美しき又は眞なる姿に見入る喜びは現在を樂しむ喜びである。
 かくの如く一切を支配し一切をその雰圍氣の中に包む主體の現在性の内部的組織に屬するものとしてのみ歴史的時間の「過去」と「將來」とは成立つ。兩者はここでは自然的時間におけるものと異なつた新たなる意義を得る。
 それに新しき意義を與へつつ「過去」を成立たしめるものは「囘想」(又は記憶)の働きである。囘想の内容としての過去は無に歸した有の再現である。かくの如き再現の働きに、しかし又それの成果にも囘想といふ名が與へられる。その場合再現されて現在する有は勿論客體的存在に過ぎないが、ここに、非存在が存在に向ひ無より有が呼び起されつつ、自然的時間においてとは正反對の方向に存在の移動が行はれるといふ現象が發生することは特に注目に値ひする。
 客觀的實在世界に屬する乃至はそれと關係づけられる經驗的事實としての囘想には種々の科學的説明が與へられるであらう。例へば特定の出來事の影響や痕跡が殘ることによつてなどの如くに。しかしながら、かかる説明がすでに囘想の働きを前提するといふ難點を除いても、囘想は單に同一内容の保存や持續ではなく、むしろ同一内容がそれとして認識されることを意味する。しかるにこのことは更にその内容その客體が同一主體に屬すること同一自己の表現であることを前提する。主體が自己意識にまで昇り「自我」として成立ち自己と客體との對立及び關係において生きること、即ち反省の段階に昇り自由の境地に進んだこと、によつて囘想は可能にされる。
 尤も反省の立場文化の段階においては、それの時間的性格が現在に盡きる如く、一切は有であり存在である。そこには嚴密の意味においての無は存在しない。客體としての「無」や「非存在」は、主體の現在の内容をなすものとして、それ自ら一種の有、存在の一種の仕方である。從つて囘想は、それの可能性の根據である反省の立場においては、一つの有り方にある何ものかと他の有り方にある同じ何ものかとの間に存する聯關意味聯關において成立つといふべきである。しかしながらこれだけでは過去の性格を可能ならしめる囘想の意義を盡したとはいひ難い。反省の立場においての無といふ有り方が更に體驗――この場合自然的生の體驗――においての無を代表する場合にのみ囘想は有意味となるのである。しかしてこのことは反省の主體が更に根源への復歸をなし得ること、その意味において、すでに前に述べた如く、先驗的囘想をなし得ることを前提とする。しかるにこの事は、すでに前に述べた如く、すべての生從つて自然的生が體驗としてすでに反省の契機をうちに包含することによつて可能なのである。すなはち反省は無より有を生ずるのでなく、すでに潛在的にあるものが顯在的にあるやうになるを意味する。尤もかく言ひかく考へる場合吾々は反省の立場に立ち、體驗における生の從つて實在性の契機と反省の從つて内容的觀念的契機とを區別しつつ兩者の間
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