の外にいはば安全地帶に避難して純粹の有を保ち又樂しんでゐるといふが如きものではなく、克服されたる無が主體の存在の中心それの本質の核をなしてゐるのである。すなはち主體は――時間的表現が許されるならば――いつも又絶えず無を克服しつつあるのである。それ故、古へよりしか呼ばれてゐる如く、主體の存在の維持はいはば「連續的創造」(creatio continua)なのである。
 しかしながら、かくの如く主體は幸ひに壞滅を免れるとするも、結局主體性を失つて絶對的實在者のうちに吸收され埋沒するのではなからうか。地の表面の突出は山と名づけられて自らの存在を樂しむ如く見えるが、實は地そのものそれの形それの有樣に過ぎぬ如く、神よりして神において神へと有り又生きる自我、自己を他者へ投出した主體、は結局絶對者の存在の仕方それの自己表現の形相として、全く表面的從屬的なる、いはば幻に近きかりそめの存在を保つに過ぎぬのではなからうか。主體性には自らの中心より生き又働くことが本質的特徴である。これは、無より救はれたる、しかし無を核心に有する、絶對者を離れては全く無に等しき、人間的主體においては全く不可能ではなからうか。汎神論はいふに及ばず、通常有神論又は人格神論(Theismus)と呼ばれ宗教的色彩の濃厚さを自らも誇り人も許してゐる世界觀でさへ、この峻嚴なる論理的歸結を囘避し難い。神と人との關係は、プロティノスにおいての如く自然的流出と解されようが、スピノーザにおいての如く幾何學的必然性をもつてする因果性と解されようが、目的論的有神論においての如く世界の終極目的とそれの手段との關係と解されようが、或は又ヘーゲルにおいての如く他者を媒介として自己を實現する絶對的精神の辯證法的發展よりして理解されようが、――いづれにせよ、自己實現乃至自己表現の觀念以上に出るを知らぬ立場においては、絶對者は主體として自然的乃至文化的主體の型によつて理解される故、從つて又他者性は結局可能的自己性に外ならず克服されて消滅することに本分を有する故、この難問は到底解決不可能にをはらねばならぬであらう。
 ここに吾々はさきに「象徴」と「表現」とについて語つた所を想ひ起すべく促される(一)。これらの兩概念の意義をすでに述べた如く規定するとすれば、表現は自己實現の活動の基本的性格をなすに反し、象徴は實在的他者との交渉を成立たしめる原理である。實在するものは決して他の實在者をわがうちに容れず、他者の侵害に對し飽くまでも抵抗をなす。このことは、更に立入つて推究めれば、實在者は主體性において自己主張の動作において成立つことを意味する。それ故自と他との兩實在者の交渉は、若し直接性においてのみ即ち兩者本來の傾向に任せたままで行はれるとすれば、一方の或は双方の、しかして他なくして一のみあることは本質上不可能である故いづれにせよ双方の、壞滅にをはる外はないであらう。かかる歸結に到達せぬ限り即ち自他共存が或る程度成立つてゐる限り、そのことは、他者が他者性超越性を保ちながら、しかも自他相通ずる何ものかによつて主體と相結ばれてゐることを必要とする。生が本質的に他者への生である以上、このことはそれのいづれの段階においても何等かの形において行はれねばならぬ。この任務に當るのが即ち象徴である。象徴は、理解を試みようとする場合、即ち反省と自己表現との立場に立つて取扱はうとする場合、極めて不可解なる殆ど自己矛盾的なる事柄として現はれるであらうが、吾々が現に生きる限りそのことと共に最も根源的なる事實であり、從つて存在の最も基本的なる原理である。日常生活もこれによつてはじめて成立ち得るのである。しかしながら今まで論じ來つた諸段階においては、生の象徴性は不徹底であつた。自然的生においては、それはわづかに壞滅を免れしめる程度のものであり、未だ共同を成立たしめるには至らなかつた。文化的生においては、共同は、他者性が象徴性を離れて自己表現を意味する限りにおいて、觀念的他者との間においてのみ成立つたのであり、從つて實在的他者との間においてはわづかに間接的にのみ成立つたのである。生の象徴性は、自然的生が基體をなす限りにおいてのみ、保たれたのである。しかるに自然的生の徹底化はむしろ自己壞滅從つて象徴性の破棄に存する外はない。それ故、自然的生從つて時間性の危機より救ふものは逆に象徴性の徹底化でなければならぬであらう。
 吾々はかくの如き徹底的象徴性を神の愛・創造の惠みにおいて見る。さて、象徴性の最も手近かな又身近かな實例、あらゆる人倫的交渉の最も基本的根源的形態、あらゆる象徴性の理解の基準となるべき典型的體驗、は言葉である。「言葉」は人倫的交渉を媒介する固定したる客體的形象即ち符徴記號そのものの意義にも用ゐられるが、これはむしろ派生的意義であつ
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