的他者との共同の成否のみ永遠性の成否を決定する。しかるに今やかくの如き共同かくの如き愛は絶對的他者そのものの創造の惠みによつて成立つことが明かになつた。この惠みに生きる限りにおいて人間的主體は永遠的生を生きる。永遠性は主體が、全く虚しくなり無に歸した自己を、自己のあらゆる存在を、かなたより來る愛の力・他者の力に獻げ打任かせ、他者よりして又他者においてのみ有り生きるものとなる處にのみ、生の新たなる思ひがけもなき性格として成立つ。言ひ換へれば、神の愛において又それによつて永遠性は成立ち、しかして、その愛に與かることによつて即ち自らも愛の主體となることによつて、否かかるものとして極みなき惠みにより創造されることによつて、人間的主體の永遠性・永遠的生は成就される。自らの力を恃まず、他者の力に一切を委ね、他者の惠みの賜物をすなほに受け容れる虚しき器となること、否しかさせられること、こそ永遠の世界へ通ふ一筋道である。

      三 象徴性 啓示 信仰

        三八

 以上論述した所によつて、愛の共同においてのみ永遠性が求めらるべきことは明かになつた。しかしながらここにその共同の成立についてなほ立入つた論究を必要とする疑問が殘されてゐる。神の愛によつて成立つ共同において、無より創造されたる人間的主體はいかにして主體性を維持し得るであらうか。主體性を保つ以上主體は自己主張をもつて再び他者に衝突し更に新たに無におとしいれられて結局壞滅にをはるのではなからうか。絶對的實在者の外にそれと何等かの關係交渉に立つ獨立の實在者が存在することは全く不可能ではなからうか。かくて主體の主體性は神の絶對的實在性と兩立し難きが如く見える。――さて吾々は比較的手近かな疑問より先づ檢討をはじめよう。一旦無の中より浮び出た主體は更に再び無の中に沈み入るのではなからうかとの問に對しては、吾々は無よりの創造に關してすでに述べた所を想ひ起せば足りる。無より有へ呼び出されたる主體は決して單純なる有ではなく、又かくの如きものであらうともせず、むしろ再び沈み入らねばならぬであらう無を克服されたる契機としてすでに自己のうちに持つてゐる。無はそれの外に獨立の別個の存在を保ち、それが陷いり來るを待つてゐる如きものではない。無を豫め内に包含するが故に主體は壞滅を免れるのである。無の克服が一旦行はれた以上、主體は無
前へ 次へ
全140ページ中102ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
波多野 精一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング